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Column.006 高井 洋季

【プロフィール】

氏名:高井 洋季(たかい ひろき) 生年月日:1981年10月12日(35歳) 出身:神奈川県横浜市 結婚:してます 通称:だんな  IVUSAでは11期、その後いろいろあって2013年、31歳の時にカナダの大学を卒業し、IVUSAに戻ってきて4年目。  今は法人事業部で、業務は本部事業の開発・調整など。  断言しておきますが、私の人生、母の高齢出産による帝王切開と、産まれてくるのに全力で、今はその余力で35年生きています。これからも余力であと50年くらいは生きていこうと思います。  というわけで以下、『誰でもわかるタカイヒロキ』シリーズでお届けします。

『誰でもわかるタカイヒロキ』 ~第1弾~ 【私の重量遍歴】60キロから108キロまでのミチシルベ

【1981年、横浜市の近藤産婦人科にて高井家長男として誕生】  確か3,300グラムくらい  で、ここからやるときりがないので、縦の成長は、すっ飛ばします。

【2000年3月(18歳):高校三年生の春】  空手部に所属し、道場でサッカーをやっていた青春時代。  背はすでに今の身長になるも、いくら食べても太らなかった。  ハンバーガーを10個食べる胃袋はこの頃に培う。  182センチ62キロ

【2002年2月(20歳):インドグジャラート(IVUSA物語3巻参照)】  IVUSAに出会った大学2年生、初めてのインド隊  この時はさすがに痩せた。  でも、食べ物を残すなんて言葉は辞書にないと教わったIVUSA時代  182センチ60キロ

【2003年11月:IVUSA4年生韓国(IVUSA物語4巻参照)】

 4年生になって行った韓国、お酒で両眉毛は完全に失うもスリムバディはキープ  ただ、めんたま飛び出るほど辛い青唐辛子を食わされ、辛いものでおなかを壊す胃袋に、  眉毛と同時に、カプサイシンで代謝を上げるというすべを失う  182センチ68キロ

【2005年8月:2回目の関川(IVUSA物語会員ページ参照)】  同期も卒業し、よく言えば風格をつけてきた。そして動くということを忘れ、  上手にさぼることを覚えた準事務局員時代  形容詞が「細い」から「かわいい」に代わったのはこの頃  動かずに飲むポカリはただただ太ると知った22歳  182センチ75キロ

【2006年8月:韓国の国会図書館にてシンポジウム】  やばいくらいスーツパンパン、よく見ると袖も悲鳴を上げてます。  「太さ」を「黒さ」でごまかすということを覚えた4回目の訪韓

 182センチ80キロ

【2007年3月 渡米1か月前、最後のアルバイト】  18の頃から、ただ牛丼が好きという理由で7年働き続け、上り詰めるところまで上り詰めた某牛丼チェーン  300食/年以上、牛丼食べていたこの時代  体の10%くらいはリアルに牛丼だったと思う。  この直前に5回目のインドに行くも、もはや痩せずインドで太れる体に  182センチ85キロ

【2007年5月 渡米1週間後 何もわからず連れていかれたヨセミテ】

 まさかの5キロ減 インドで痩せないものがアメリカで痩せるとは  意外と繊細な人間であると知る

 182センチ80キロ

【2008年6月 渡米~1年後、遊びに行った韓国にて】  もはやパンパンです。  車のガソリンがリッター50円  ダブルチーズバーガーが100円という国に住むとこうなります

 フラペチーノ(ベンティ)で1,000キロカロリーオーバーということを知るも遅すぎた

 182センチ95キロ

【2009年1月1日 カリフォルニアのディズニーでの2年連続カウントダウン】  渡米1年で90キロ越えも残り2年のアメリカライフではここで安定期 渡辺直美が言ってた、「100キロは才能がないと越えない」って、  自分にはその才能がないと信じていた。

 182センチ95キロ

 さて、2000年3月から、ここまで9年弱で35キロほどの増  スーパーで35キロの肉って、見たことありますか??  バブルを彷彿とさせる、年平均5%の右肩上がりの安定成長。

 簡単に言うとちょっと食べすぎちゃったワンシーズンで+1キロ。  その積み重ねで誰でもこうなれます。  ご注意ください。  だいぶ字数オーバーしたので、いよいよ才能が開花した2017年までの残り8年は次回持越しです。  『誰でもわかるタカイヒロキ』

 第2弾【私の大学遍歴】  第3弾【私のアルバイト遍歴】  番外編【母をPJに連れていくとどうなるのか】

 多分読んでも役にも立ちませんが、完結するまで4年くらいかかります。  興味ある人だけ見てください。


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