Column.031 大坪 英里奈3
こんにちは。 お久しぶりの大坪です。 これまでなんだか真面目?実用的?なことばかり書いてたので、毒にも薬にもならなそうなことをかこうと思います。 みなさんは、「あなたの国はどこ?」と言われた時、なんと答えますか? 「日本」など出身国を問うているのではもちろんありません。 「出身地はどこか」に近く「ふるさとはどこか」という問。 この問にどう答えるか、というところに、 ・どう見られたいか ・どこに帰属意識を持っているか が表れるように思います。 かくいう私の場合は、「下呂」もしくは「岐阜」です。 ただし、これは先ほどの基準で言えば、前者の見え方を意識したもの。 知らない地名を言っても話は弾みませんから、その辺配慮した結果です。 (岐阜?どこ?東北だっけ?という返答が返ってくることもなくはないですが。。) “帰属”もしくは“愛着”という視点で言えば、私の場合は下記の順で強いのかなーと思っています。 四美>旧益田郡>飛騨>岐阜>日本 四美というのは私の実家のある地区(現・下呂市萩原町四美)ですが、山に囲まれ、谷と清水と季節の花々に囲まれたどこにでもある中途半端な田舎です。 帰属の強さの順序に「?」となる人もいるかもしれませんが、私はもともと郡部出身。 下呂市に合併されたのは高校2年生の頃でしたので、その後すぐに大学で上洛を果たした私にとってはちょっと下位に来ます。 ※ちなみに「郡部」というのは、高校同級生に実際に呼ばれることがありました。今思うと蔑称ww さて。 『飛騨』です。 2017年にフィーバーしましたので、皆さんの認知度はとても上がっているのではないでしょうか。 アニメ映画「君の名は」の三葉サイドの舞台ですね。 ちなみに、飛騨には映画館がありません。 私が高校の時にはあったのですが数年前につぶれ、映画館0地域となってしまいました。 年始くらいの実写映画「氷菓」では私の母校も舞台となっており、高山市内は氷菓フィーバー。 ですが、飛騨の人々の多くはきっと見たことがありません。 そんな地域がどうやって映画を鑑賞するかというと、公民館で上映会があるんですね。 ジュラシックパークとかドラえもんとか、公民館で見ました。なつかしい。 さてさて、前置きが長くなりましたが、ここでは皆さんの知らない飛騨の逸話をご紹介し、飛騨高山や下呂、白川郷などを抱える飛騨という地区の別の楽しみをご提供できればと思います。 多少、マニアックです。 飛騨はもしかしたら不思議な土地なのかもしれないと、たまに思うことがあります。 いや、全国それぞれ、不思議があるのかもしれませんが。 例えば、各家の神棚で祀られているのは、大抵は天照大神かなと思います。 しかし、大坪家の場合、天照大神もいらっしゃいますが、別の謎の神様もいらっしゃるのです。その神様の話はまた別の機会に。 いろいろと怪しい伝説もありますので、中2病時代の知識を掘り起こしながら、ご紹介します。 ■飛騨高天原説 高天原というのは古事記に出てくる神々の国です。 実在しない天界として解釈されることが多いのですが、物語があるからには実在するかも!ということで、複数の土地が高天原という説があります。 「高天原はいくつもあり、飛騨高天原は最も古いもので天照大神の幽の宮であった」という説があり、(全国各地にもありますが)「天孫降臨の地」「天岩戸」とされる地が残っています。 有名な学者の坂口安吾氏曰く、壬申の乱の舞台は飛騨、という説も。 ちなみに、天皇即位が近づいていますが、即位の際には飛騨にある位山(くらいやま)という山のイチイの木でつくられた笏が必ず献上されるそうですが、これもまた、ちょっといろいろ憶測したくなる話ですね。 ■位山と両面宿儺 上記ははっきりとではありません(ので諸説出るのですが)が、古事記のお話し。 一方の日本書紀においては、飛騨は、朝廷にあだなす部族が住まい、討伐されたと記録されています。 そこで討伐されたのは「両面宿儺」という2面4双の怪人。 一部地域では神として祀られているこの怪人は、先出の位山の主ともされています。 両面宿儺統治の中、飛騨には発展した文明があったという説もあり、科学も発展していたのではないかと思えるような7500年前由来と見られる巨岩遺跡もあります。 ■飛騨の匠 木を用いた建築技術において、有史上でも飛騨の民は傑出してたと書かれています。 「飛騨の匠」と呼ばれる技術者集団で、万葉集や今昔物語にも登場し、都の建物をたくさん建築したとか。 現代においても、豊かな山林と飛騨の匠の技術が受け継がれ、木工業が盛んで飛騨の家具は高級家具とされています。 さて、この「飛騨の匠」。 歴史上で出てくるのは約1300年前。 律令制の中で飛騨は“下の国”とされ全国ワースト9位に入る、豊かでない国でした。 その頃の税である租庸調の内の庸と調を免除され、その代わりに飛騨の匠を都に送り出すことになります。 50戸につき10名と多くを派遣しなければならない決まりになっていたとともに、 その労働は非常に過酷で、年間の日数にして最多で350日。 決まりでは250~300日という話もあるので、50日はサービス残業なのでしょうね。 そりゃ身体も壊しますわな。 ■“下の国”は不当な措置か? さて、“下の国”として劣等生のレッテルを貼られていた飛騨ですが、下国には他にどこがあったかというと、隠岐島や対馬などの島国がほとんどでした。 でも飛騨は陸の孤島とはいえ、内陸国。。しかも広い。。。 「なんぼなんでも、同じくらい低いのは言いすぎじゃね?』という分析をする人たちもいます。 ここで再度出てくるのが、 「朝廷にあだなす部族であったから、不当な扱いであったのでは」 もしくは 「飛騨の技術力が欲しいから、わざとランク落としてたのでは」 というお話。 とはいえ、実際に、後世での「あゝ野麦峠」に出てくるように、寒村ではあったのでしょうが。。 そのレベルが普通だったのか、やっぱり他に比べたらひどかったのかは、どうなんでしょうね。 時代は進み、江戸時代においても、飛騨は劣等生で有り続けます。 飛騨には藩がなく、幕府直轄地として統治されました。 劣等生だから、というのが基本的な説ですが、中には「また特別扱いじゃ?」という説もあったりします。 ■飛騨の匠と飛騨の顔 ちょっと前に戻って、飛騨の匠。 過酷な労働環境の中での単身赴任。 逃げ出す匠も出てきます。 ここでお布令が回ります「飛騨の匠の顔も言葉も間違えようがないから見つけたらすぐわかるはず」と。 飛騨の顔、については同名の坂口安吾の本がありますのでそちらまで。ネットで全文読めます。 部族が違った=血筋が違ったわけなので、日本書紀の説を信じれば、不思議な話ではないけどね。 ちなみに近年の研究だと、ミトコンドリアDNAの研究の結果、飛騨の人たちの母方祖先は縄文人系である率が日本平均よりだいぶ高いとか。 そうすると、“飛騨の顔”の背景もなんだか見えてきます。 飛騨と美濃で隣り合いながらも縄文人系・弥生人系の割合が全く違うのもいとおかし。 両地域の歴史に思いを馳せることができます。 不思議がいっぱいの飛騨。 アニメ聖地めぐりだけでなく、一度訪れてみてはいかがでしょう◎