Column.036 谷口リレーコラム
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
新年1発目。映画について書きます。
たくさん好きな監督はいるのですが、今日は黒澤明監督の作品である「生きる」について書こうかと思います。1952年公開された映画で、モノクロの映画です。自分で言うのもなんですが、セレクトが渋いですね。
【映画「生きる」のあらすじ】
この物語の主人公の渡辺は、市役所の市民課長。
毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々。
そんなある日、渡辺が体調不良で休暇を取り病院に行く。
診断結果は、胃がんが進行しており、余命4ヶ月。
これまでの自分の人生の意味を失った渡辺は、初めて無断欠勤をし、
これまで貯めたお金をおろして夜の街に、パチンコ、ダンスホール、ストリップショーなど彷徨う。しかし、虚しさだけが残った。
その翌日、渡辺は市役所を辞めて玩具会社の工場内作業員に転職していようとしていた部下の小田切と偶然に会う。何度か食事をともにし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。
自分が胃がんであることを渡辺が小田切に伝えると、小田切は自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」といった。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気づき、次の日、市役所に復帰する。
それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。
渡辺の通夜の席で、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。
「渡辺は復帰後、住民の要望である公園を作ることを始めた。頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させた。雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取った」と。
生きているのか、死んでいるのか。生きながら死んでいる様な毎日から脱却しようと懸命に生き、死んでいった。
新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。
通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺をたたえていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の創った新しい公園は、子どもたちの笑い声で溢れていた。
長くなりましたが、そんな映画です。映画や小説は、登場人物の立場になって、自分ならどうするかを考えると何倍も面白くなります。
「余命半年と言われて、あなたは何をしますか?」
誰もが必ず訪れる「死」に対して、残された人生をどのように生きますか。主人公は、市役所の課長という自分の現在の立場を最大限に活用し、仕事に没頭することで、公園を残しました。世のために貢献するということで、生きた証を残しました。
映画を通じて黒澤監督が伝えたかった事は、
誰もが「死」に直面すれば残された人生を真剣に生きようとします。
しかし、
誰もが必ず訪れる「死」に対して、必ずしも真剣に生きている訳ではありません。
この相反する心理です。
主人公は自分の命が短いことを知って、初めて「生きる」ことが出来た訳です。
「あなたはどうですか?
生きるとは何か?
何のために生きるのか?」
平成も終わる今年。新しい年の始め。改めて、考えてみてはどうでしょうか。
それでは、また。