top of page

Column.030 池田慶輔1

 こんにちは。事務局の池田慶輔(いけだけいすけ)といいます。高身長の事務局員の平均身長を下げておりますので、なかなか見つかりませんが、お会いした際は声をかけてくれると嬉しいです。

 大学時代は皆さんと同じく IVUSAに所属しており、23期の卒業生です。26期が 1年生のときに4年生でした。ただ年齢としては同期より少し上の27歳です。お察しください。画像は現役時代、かなり盛れていると評判のものを持ってきました。笑っていますが、この時めちゃくちゃ怒られています。

 さて、 突然ですが皆さん「死後の世界」についてどのようにお考えでしょうか。突然こんな切り口から始めるのはいかがなものかと思いますが、今回はこのテーマでいきます。

 というのも、時たまシャンプーをしながらぼーっとしていると自分が死んだ時のことを考えることがありますが、もちろん答えはなく、ただ漠然と何もないイメージが湧き、心がざわざわします。恐らく病んでいたのでしょう。

 今、このテーマで書こうとしているのは病んでいるからではありません。少し疲れているからです。

 さらにふと、果たして他の人はどう考えているのか。そう思いました。こんな危険な質問を他人にぶつけられる環境はなかなかありませんが、ちょうどこの疑問が浮かんだときに関わっていた仕事の関係上、宗教によって死後の世界の考え方が違いを知り、今回はその一部をご紹介できればと思います。

 なお、以下に紹介するのは私の経験上で得られた知識に私なりの考えを加えたものになりますゆえ、その点ご理解のうえ御覧ください。

 まず日本でもおなじみの仏教。よく「四十九日」という言葉を聞くと思いますが、これは次に生まれる世界を決定するまでの期間と言われています。この世(娑婆:しゃば)以外にもいくつも世界があり、どこに飛ぶのかは自分の行い次第なのです。いわゆる徳を積むってやつですね。情けは人のためならず。自分のために得を積んでいるのだから、見返りがあったとしたらそれは儲けもの。なんて考えにも繋がります。

 少し脱線しましたが、いくつもある世界のどれかに転生して「ニューゲーム頑張ってね!」というのがざっくりとした考えです。

 なので、数年前に話題となった「君の前前前世から僕は君を探し始めたよ」と歌っていたバンドは、もしかしたら敬虔な仏教徒だったのかもしれません。

 さてこの繰り返しのように思われる仏教の考えですが、唯一の別枠が「浄土」です。「浄土」とは仏様のいる清らかな世界とのこと。浄土での寿命は無限です。

 さすがに仏様ともなると、ボーナスステージも破格の待遇ですね。どこかの世界に飛ぶか、浄土にとどまるのか、どちらにせよ「死後の世界」の存在についての記述はないそうです。

 私なりの解釈ですが、「そんなわかんないこと考えてないで今をしっかり楽しもうぜ!」といったポジティブ感溢れるナイスな宗教なのだと思います。正直、このあたり私にはまだ素直に受け入れられない部分が小物だと感じています。

 と、まずは仏教について書き連ねたところで、今回はここまで。

 書き終わってみて、このテーマはなかなか今後の展開が際どいと感じているので次回は「ミーハー読者が選ぶおすすめディストピア小説」をお届けします。


bottom of page