Column.009 深山 恭介
【プロフィール】 氏名:深山恭介 生年月日:ゆとり教育第1世代。誕生日は伊藤さんと同じ。 出身:東京都国分寺市 おはこんにちばんは。 僕はグンマ―帝国で生を受け、数週間後に東京に移住し、日本に帰化しました。 大学は東京のチベットこと八王子に通っていました。 大学卒業後は、新潟県十日町市という、人が生活している地域としては世界有数の豪雪地帯(現代人が生活するには過酷すぎる場所)で、3年間地域おこしに関わる仕事をしていました。 現在、IVUSAに就職して5年目で、事業や研修、災害救援を主に担当しており、プロジェクトでは阿蘇海環境づくり活動、十日町雪まつり(ここ3,4年は現地に行けていないですが)、雪原カーニバル、インド住宅建設活動、京都日本海清掃などを担当しています。 いわゆる現場系、ロジ系です。 学生時代のことを少し書くと、 大学1年の時は真面目に大学に通い、真面目に遊んでおり、IVUSAには2年生から入りました。 入会直後に報告会の災害シミュレーション劇に出演し、
【セリフは「あいたたた」と「よし行くぞ」】 夏プロは韓国隊(通称統一村という、板門店から南北2キロずつある非武装地帯の中にある唯一民間人が暮らす村で活動)に参加し、
【韓国隊】
九十九里にも参加。 九十九里では副班長を拝命するも、初日の夜に「明日ドライバーやって」と頼まれ、 深山:誰と一緒に乗ればいいの? 同期:さとうゆうさんって人 深山:どんな人? 同期:田舎のヤンキーみたいな人 深山:ふ~ん で、当日集合場所に行ったら
【同期の表現が適切過ぎた悠さん】 はい、一瞬でわかりましたよね。そして今までに経験したことのない長い、本当に長すぎる一日が始まりました・・・。 (この時の悠さんは、何を言っても返答が「んん(発音は口を閉じた状態で「un」)」だけ。)
【心の距離が立ち位置に出てる悠さんと深山】 また、九十九里3日目は、交流会会場にて、同期と2人でイベントテントを10張り以上建てるという指令を受け、6本足のイベントテントを2人で建てることを身につけました。 その後の交流会では、花火の打ち上げ担当を拝命。 借りられると聞いていた消防団の耐火服がなく、半袖1枚でひーひー言いながらドラゴン花火(噴水みたいに出るやつ)の火の粉を全身に浴びながら、なんとか役目を全うしました。
【両腕を犠牲にしながらあげたドラゴン花火は、自分たちで建てたテントで見えなかったらしい…】
入会から4か月で、こんな目に遭いましたが、よくやめなかったと思うこともありました。 でも、現場系、ロジ系として続けたのは、 当時の4年生たちが、心底楽しみながら、喧々諤々、時には衝突もしつつ、プロジェクトの成功を目指して、役職やセクションを飛び越えてやってたからなんだと思います。 そして、隊員や住民が笑顔でいる裏に、歯を食いしばっている(防火服なかったから)人間がいるから、プロジェクトが成り立つことを身をもって知り、 みんなが笑顔でいることを、「してやったり」と思え、 結果に対して良かったことも悪かったこともきちんと評価してくれる先輩や事務局がいたから続けられたんだと思います。 皆さん、 人生で一度きりしかないこの一瞬を、 この夏を、 このチームを、 楽しみ、駆け抜けてください。 脈絡が無くなりましたが、以上です。 次回は、22年間東京で生きてきた若者が、「陸の孤島」「雪国じゃなく雪山」「冬場の出勤は命がけ」「デートした翌日には住民皆が知っている」などと形容できる十日町での3年間をお送りする予定です。