Column.023 十日町で過ごした3年間
こんにちは。関西事務局の深山です。
今回は予告通り、22年間東京で生きてきた若者が、「陸の孤島」「雪国じゃなく雪山」「冬場の出勤は命がけ」「デートした翌日には住民皆が知っている」などと形容できる十日町で過ごした3年間について紹介します。
住んでいた家。積雪深は3,4メートルになるので定期的に除雪しないとかまくらになってしまう。
まず、新潟県十日町市でなぜ働いたのか?ということですが、
大学4年生の頃に、「卒業後は救急救命士になりたい」と考えており、
専門学校に行くつもりだったため、就職活動は特にしていませんでした。
同級生たちが就職活動を終えた7月頃、
下村代表より、「十日町で地域おこし協力隊という仕事があるが興味あるか?」という話をいただいたことがきっかけでした。
※地域おこし協力隊※
総務省の移住定住を促進する事業で、2009年よりはじまった制度。
都市部の人が地方に移住し、地域おこしに関わることに従事しながら定住を目指すものです。
5,6年前には生田斗真主演のドラマの題材にもなったらしいです。見てないですけど。
当時、大学では開発協力について学び、将来は救命士として仕事に就きたいと思い、IVUSAでも災害やロジ、CMTを中心にやっており、地域活性化には特に興味・関心はありませんでした。
しかし、結果的に11月頃に十日町市で協力隊をやらせていただく決断をしました。
車庫に車を入れるために除雪をする深山を見守る宮さん
田舎暮らしに憧れていたわけでも、
東京の生活に疲弊したわけでも、
十日町市に想い入れがあったわけでない僕ですが、
「地方のリアルを学びたい」と思ったのが率直な動機です。
また、協力隊は任期が3年なので、
任期後に救命士の専門学校に行ってもまだ27,8歳だから、
「一度きりの人生、後回しにできることは後回しにしよう」と思ったこともあります。
(結局学校には通わなかったんですが・・・)
3月末に十日町市に移住し、都民から県民となり、
翌日には採用されることが分かっている出来レース的な面接を受け、
4月1日から地域おこし協力隊として働き始めました。
市役所のサッカー部や野球部にも入部。背番号は肉。
協力隊として地域おこしのために取り組んだことはいろいろありますが、
一番力を入れていたのは、「サンライズプロジェクト」でした。
これは、所謂耕作放棄地で、野菜を作って、販売し、収益を東日本大震災の復旧・復興支援に充てるというものです。
地元の人がプロジェクトのスタッフとなり、東京などの都市部に住む人を参加者として呼び、農業体験、田舎体験、観光を1泊2日で行っていました。
(年間延べ500人くらいの方に参加いただき、その後何人か移住された方も。)
サンライズプロジェクトで無農薬はざかけ米を作ったときの集合写真。無農薬なのは農薬を買う資金がなかったため。
また、世田谷区経堂にある居酒屋を借りて、「十日町ちゃん祭り」というイベントもしていました。
十日町市の特産品や栽培した野菜を使った料理を提供し、サンライズプロジェクトに来た人や十日町に興味ある人の交流の場としていました。
(一晩で協力隊一月分の給料くらいを売り上げていたので、これを仕事にできないかなーなんて妄想していました)
その他にも代官山の蔦屋のマルシェなど、物産展もやってました。
かなり中途半端で、何のオチもないですが、今回はこのへんで。
読むの飽きてきたと思いますので。
次回はサンライズのことを詳しく書くか、田舎暮らしについてお送りする予定です。
【サンライズプロジェクトの取り組みがニュースに取り上げられた様子】
※当時地デジ化に伴い家のテレビが見れず、カーナビのワンセグで撮ったものなので見づらいです
【十日町ちゃん祭りを開催していたお店のオーナーの方のブログ】